2012年4月10日 (火)

ダマンに行ってきた

ダマンに行ってきた。

ダマンDaman

グジャラート州南端にある連邦直轄地。1961年に独立するまで、長い間ポルトガルの植民地だったため、インドらしくない雰囲気が漂う。川を挟んでふたつのエリアに分かれる。アラビア海の風に吹かれてのんびりしたい町だ。

アクセス:ムンバイから海岸沿いを北へ約165km。最寄り駅は東12kmの所にあるVapi。ここまでムンバイから約3時間。

(『地球の歩き方』より)

ゴアと同じくここダマンもまた旧ポルトガル領で、インドにあってインドにない一種独特の雰囲気をもっている。こんな所に利用価値があったんだろうかと思えるほど小さな町。観光的にもそれほど魅力があるとは思えず、『歩き方』もコラム扱い。たぶん実際の取材には来ていないんではないかな。

そんなダマンに好奇心の強い私は行ってきましたよ。

ロケーションとしてはムンバイから入るのが一般的だが、私はシルジ・サイババにご挨拶してからバスを何回か乗り換えして入ったためにずいぶん時間がかかってしまった。

バス停近くのメーンストリート。

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ポルトガルの面影が残っている。

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こんな古い建物もバーとして使われている。

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こんな色使いも珍しい。

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ここでも牛は大きな顏をしている。

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馬も闊歩している。

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こんな教会なら
もしかすると
神様も降りられるかもしれない。

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このお母さんの胸元に注意。

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羽生南小学校6年1組
高橋××

旧ポルトガル領に共通しているのはクリスチャンが多いのと、アルコールに寛容なこと。ここダマンでは酒屋も多くバーが昼間っから営業している。アルコールを目当てのインド人観光客も多いようだ。

慣れない酒に飲まれてしまって酔いつぶれたお父さん。

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観光記念に撮った写真が散らばり
ナニが起こっているのか理解できない娘さんが哀れだ。

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元気な子供たち。

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アラビア海に沈む太陽。

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海があって酒がふんだんに飲めれば
ゴアのように観光地として栄えても良さそうに思うのだが
酒はよいけれど肝心の海がまったくダメ。
海辺は砂というより土だから
海水浴とかサーフィンにはまったく向かないのだ。
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この地を訪れる外国人観光客は物好きな私くらいなものだ。
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2012年4月 9日 (月)

ゴア・アンジュナビーチのトップレス

このところインドで撮った写真を整理しているのだが、オームの写真を見つけては、その写真を撮った前後の状況をハッキリと思い出す。

このブログは特に時系列に記事を書いているワケでもなく、その時その時の思いつきで書きなぐっているもの。今回は再び『わが青春のゴア』画像だ。

カラングート・ビーチから隣のアンジュナ・ビーチへ移動中にこんなオームに出会った。

象のオームだ。

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アンジュナ・ビーチで見かけたイタリア娘。
オームペンダントが目に入った。

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カラングート・ビーチとアンジュナ・ビーチはつながっていて、長い海岸線は散歩するにも最適だ。私の知っているゴアはヒッピーだけだったのだが、今ではインド全国から観光客が押し寄せるようになっていた。

それらの観光客を目当てに大道芸人たちも集まってくる。

綱渡りの親子。

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こんな芸人も・・・。芸人というより芸牛だ。

この牛は笛の音に合わせて“足踏み芸”を見せてくれる。

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かつてはヌーディストの村と知られたゴアだが、今ではヌード禁止だ。

ただし
トップレスはチラホラ見ることができる。

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牛とトップレスというのも奇妙な絵柄ではあ〜りませんか。
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これが最近のゴアです。

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2012年4月 8日 (日)

マイソールの夕焼け

今の時代、旅行者はiPadとかスマートフォンなどを持ち歩き、留守宅と連絡取り合ったり、現地の情報を仕入れながら旅を続けるのは普通になってきた。私なんぞは荷物のかさ張るのもイヤだが、操作を覚えるのがタイヘンだから、そういった器械は持ち歩かないようにしているのだ。

それでもMacファンとしては、旅先でMacコンピュータを使っているひとを見ると、なぜか連帯意識が沸き上がり声をかけたりすることもある。

ハンピにて。
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ホテルやレストランなどは『無料Wi-Fi』を客寄せに使っているところも多く、デカン高原古都のマイソールで泊まったホテルは1泊1000ルピーとエコノミーだったが、チェックイン時「部屋でWi-Fi使えます」とちゃんとパスワードを書いたメモまで渡してくれたのだ。

マイソールのホテル。

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そのマイソール、見所といえばマハラジャの宮殿ぐらい。

市内からバスで3時間くらいのところにチベッタン居留区があるというので行ってきた。

マイソール郊外
チベッタン居留区のお寺。

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この場所はデカン高原の高地にあって、気温も比較的低くチベット人にとっては住みやすいところなのでしょう。ただし、一般のチベット人より僧侶の方が多いみたいだった。

チベッタンヌードルとモモの昼食。

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ホテルに戻り街の夕焼けを見ようと屋上に出てみると、、、。

「オー!Macだ!!!」

例によって「オレもMacファンだぜ〜!」などと声をかけたのだが、この青年、コンピュータに向って何やらブツブツと喋っている。

オーストラリア青年。

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訊くと、友人と喋っているのだという。

相手はロンドンの友人だそうだ。

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「今、ヘンな日本人が飛び込んできたゼッ」などと喋ったようで、オマエも何か話せ!という。しかたないからメチャクチャ英語で自己紹介したのだが、ウケたのかウケなかったのか解らないが笑い声が聞こえる。

マイソールで豪英テレビ電話に特別出演する。

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カメラを持った日本人。

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今はこんなふうに、インド南部のホテル屋上にいて、イギリスとテレビ電話ができる時代になったんだなぁ。それも特別な技術者でも何でもない、フツーの人がだヨ。

デカン高原マイソールの夕日。

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高原だけあって
日中はあんなに暑かったのに
日が沈むとケッコー冷えを感じる。
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2012年4月 7日 (土)

ラメシュワラムにて

昨日の記事に関連した、こんな事件がパキスタンで起きているようだ。

2012.04.07(土) NHKTV

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さて、先日こんな看板を見つけた。

二子玉川にて。

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どれほど腹立たしいことがあったのか知らないが
ここまで書くという精神構造も
ちょっと
その〜、、、、。

このところ、先日のインド旅行の写真をチェックしてプリントアウトしている。

カメラをパソコンに取り込んで眺めているだけは画像ファイルに過ぎない。やはり紙にプリントアウトすることで初めて写真になるのだと思う。

これがなかなかタイヘンな作業で、プリンターのインキや用紙など、ケッコーなモノ入りだ。

私のプリンターは、なにしろカートリッジが10本も必要なのだ。

使用済みインキカートリッジ。

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ヨドバシカメラあたりの回収ボックスへ投げ込んでくる予定。

まぁ、これも先行投資だと思って頑張らなくっちゃ!

そのインドの写真を整理してニヤッと笑った1枚があった。

ラメシュワラムにて。

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ラメシュワラムはインド東海岸チェンナイの南に盲腸のように突き出ている村だ。ちょうどアメリカ大陸のフロリダ半島のようなもの。ムカシはここからフェリーが出ていて、これがスリランカに行く最安ルートでした。しかし、その後スリランカにおけるタミル人(ヒンズー教徒)迫害問題に端を発した民族戦争のあおりでこのフェリーも運航中止になっている。たまに、再開のニュースを聞くこともあったが、いまだ問題は解決していない。

このラメシュワラムもインド人にとっては聖地で、巡礼の人々がひきもきらない。

この写真はたぶん巡礼者が投げるお賽銭を探しているのだと思う。

私は常々こんなバカバカしい写真を撮りたいと思っているのだが、なかなかそういうチャンスはない。

この写真を見て
「バカだな〜・・・」と思ったアナタは私のオトモダチだ、文通しましょう。
そうでないひとはサヨナラサヨナラサヨナラ。
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2012年4月 6日 (金)

ハンピは岩だらけ

ムカシはどこを旅行していても若い日本人バックパッカーに出会ったものだ。

たとえば、エチオピアからナイロビに向っているバスに乗り込んだら、最後列に日本人がいて「ヤァヤァ、、、」などということもあったワケだ。アフリカでそれだから、インドだともっと日本人に出会う確率は多かった。『地球の歩き方』も無い時代にみんなどこで情報を仕入れたものだろうと不思議に思うのだ。

あの頃のバックパッカーには「ナニかあっても日本大使館は我々のような者の助けにはならない。死んで初めて大使館が動き出す」というような戒めがあったように思う。すべて自己責任とハラを決めていたのだ。大使館といえば、デリーの大使館に相談に行った日本人旅行者。大使館員の応対に侮蔑を感じ、やにわにシャツをめくり上げ、ポケットから取り出した切り出しナイフを腹にあてて「謝らなければここで腹を切る!」と迫り、大使館員を土下座させたのだという。

ウソかホントか知らないが、安宿のドミトリーでこんな武勇伝に盛り上がったこともあったっけ。あれから40年、今回南インドを旅していても日本人に出会うことはホントに少なくなってしまった。

日本人顔だと思って声をかけたら中国人だった。ひとくちに中国人といっても香港系だったりマレーシア系だったりする。東洋人顔で一番多いのが韓国系。彼らの浸透度は目を見張るものがあって、ヴァラナシ(ベナレス)の裏小路を歩いていても看板やレストランのメニューがハングルだったりするのも珍しくない。

HUNDAIやSAMSUNGを初めとして、とにかくアッチコッチでコリアンパワーに遭遇する時代になってしまった。

インド南部カルナータカ州
ハンピのゲストハウス看板。

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ハンピに行ってきた。

ハンピとはナニかというと、、、、、。

ハンピ(ヴィジャヤナガル)

ホスペットからバスで約30分。サトウキビ畑やバナナ園を抜けると、奇怪な巨石群が目に飛び込んでくる。ヒンドゥー王朝として南インド全域にわたって繁栄を極めた、ヴィジャヤナガル王国の14世紀から16世紀にかけての都ハンピだ。もともとトゥンガバドラー川南岸に位置する岩だらけの荒野に人為的に造られた都市だったが、イスラーム勢力の破壊により今では廃墟と化し、静かな村となっている。
    (『地球の歩き方』より)

『歩き方』を読まなかったら気づかずに通り過ぎていただろう。それくらい日本人にはあまりなじみのない場所だと思う。村全体が巨岩奇岩の上にできているということに興味をもったワケだ。参考までに私のとったルートを書いておくと、マイソール(MYSORE)→ホスペット(HOSPET)→ハンピ(HAMPI)のルートで所要時間約12時間くらいだったと思う。

壮大な城壁の残骸がある小さな村だ。

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こんな巨岩の産出地でもあったのだ。

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メーンストリート。

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プリンスレストラン。
またもや
イワノフやナターシャさん。

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プリンスレストランの朝食。
毎日こんな朝飯を食べていたら間違いなくメタボ腹だ。

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大道芸の象さん。

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芸もせず、ただウロウロするだけの牛さん。

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観光客に愛嬌ふりまく牛さん。

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芸もせず、愛嬌も振りまかず
ただ眠るだけの犬さん。

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ホントに犬というヤツは
眠くなるとどこでも眠りやがる。

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映画『タイタニック』のテーマを聞かせる笛吹き男。

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会議中のお猿さん。

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ホスペットからのバス停があるこちら側がメーンの村になるのだが、川向こうの村も整備されつつあって、バックパッカー相手のゲストハウスやレストランも建っている。

観光地といっても、ロケーションの悪さから全般に観光客は少ない分、住民もスレてなくノンビリできる場所だ。

初期のカトマンズ、ポカラのニオイが残っている
ハンピの村だった。
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Sikiri2hana
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2012年4月 5日 (木)

OSHO体験〜Yes OSHO(その2)

OSHOのアシュラムがあるプネー(プーナ)だが。

ムンバイから南東へ約200kmの所にある文教都市プネーは、
約345万人の人口を擁するインドで8番目の大都市だ。
   (地球の歩き方より)

文教都市と書いてあるように観光名所的な場所もない。『地球の歩き方』のホテル紹介にはゲストハウスのことも触れてあるが、内容を読むと、たぶん直接取材まではしていない印象だ。それほど一般観光客には縁が無さそうな街なのだ。

『歩き方』に書いてある、プネーの町の守護神ガネーシャを祀ってあるというカスバ・ガナパティ寺院に行ったのだが、ここのガネーシャは変わっていましたネ〜。一般的にガネーシャは象面で鼻が曲がっているのだが、ここプネーのガネーシャはコレ。

カスバ・ガナパティ寺院のガネーシャ

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南部の土着の神様と北部から伝わった神様とを合体させて新たな神様を作り信仰したり、象面のガネーシャも黄色いポケモンのようなこのガネーシャも、同じ神様として敬うインド人の感覚はオモシロイものがあります。

インドのグルというのは大体がバガバッドギータやマハバーラタの古典、古来から伝承されてきたヒンズーの神様を元ネタにして教えを展開していくワケだが、和尚の場合はこれらがまったく出てきませんね。ガネーシャも出てきません。現代人を縛っているものからの解放をセックスとかドラッグに求めた訳で、そういった意味では“創始者”といってもよいでしょう。

だからOSHOアシュラム内には他のグルのアシュラムで見られるような、シバやクリシュナの絵もないし、アラティなどのヒンズー伝統の儀式もありません。仏陀の石像を数体見かけたが、これとてただの庭の飾りでお地蔵さんのようなものです。そして、OSHOの魅力的なポートレートも、売店にある本やDVDのカバーだけ。グルのポートレートを神格化して祭壇に飾り拝ませることもないしバジャンもありません。

ラジニーシを名乗っていた初期からそうだったのかは解らないが、このように現在のOSHOアシュラムからはヒンズーイズムは完璧に排斥されている印象。もし僅かでもインドらしいヒンズーイズムが残っているとすればサンニャーシの名前だけかも知れない。このサンニャーシの名前はグル亡き後は誰が授けているのだろうか。ところで、かつて“マハー・マーヤ”とか“アーチャリー”などというホーリーネームを持ったあの家族はいまいずこ。

いつも書いていることなのだが、私はグル関係の本をまともに読んだこともないから、グルの教えなるものもほとんど知らないし、興味もありません。強いていえばみな同じようなものと思っているのです。私の基準は「オモシロそうかオモシロそうでないか」それに尽きるのです。そのデンからいえば、サティア・サイババはオモシロイし、OSHOもオモシロイのだ。特にOSHOの『セックスグル』などというトレードマークはサイコーにオモシロい部類に入る。『愛と奉仕』などとは誰でも簡単に言えるけれど『セックスこそ解脱に至る道』などとはちょっとやそっとで言えるもんではありません。

滞在者のほとんどは欧米人でインド系はホントに少ない。数年前リチャード・ギアがボンベイで戯れに女優にキスを迫っただけで大騒ぎになるお国柄だ、ヒンズーイズムを冒涜する教えを説き欧米人の支持を得たグルがインド社会に受けいられるワケもありません。だからOSHOのアシュラムは“プネー租界”。インド人にはまったく関係ない、治外法権的扱いだ。

昨日の日記にも書いたのだが、OSHO亡きあと、団体の存続を計りたいOSHO側と、広大な敷地を活用してリゾート開発を望む企業の思惑が一致しての展開なのだろう。だから、『セックスグル』などという看板はとっくに「明るく楽しい瞑想」へと塗り替えられたものと思う。

なにしろ勇名を馳せたグルだけにそのイメージが今だに払拭できないひともいるだろうが、現在のOSHOアシュラムは淫風漂っていることもなく極めて健全だと見た。またカルト的にひとの心を操ろうという意図も感じられなかった。

何事でもそうだが、精神的に不安定なとき、すがったワラに絡めとられそのままあり地獄に陥って抜け出せないひともいれば、自分の経験を糧にして次のステップに踏み出せるひともいるのです。

私は冷やかしで立ち寄ったOSHOアシュラムだが、朝から夜まで瞑想三昧。薄目開けては他を観察するほうが多かったのだが、OSHO体験を充分エンジョイしたし、来て良かったなぁという思いがしたのです。

そして、こんなフレーズまで思いついてしまったのだ。

ねたみ(妬み)
そねみ(嫉み)
ひがみ(僻み)




みんなOSHOのもとに置いてきた。


帰国後何人かには「OSHOアシュラムをインド旅行に組み入れたらオモシロイよ」と勧めたし、私の勧めにしたがってOSHOアシュラムに行く気になったひとがいたとしたら、彼らが戸惑わないように、アシュラム内の様子を書き残したワケだ。

それでは、

最後にOSHOには関係ないプネー市民に登場していただきましょう。

プネー市内。

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鉄工所の事務所。

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その鉄工所で働く男。

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父と子。

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果物屋のお母さん。

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バス会社のマネージャー。

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笑顔がアヤシー青年。

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2012年4月 4日 (水)

OSHO体験〜Yes OSHO

プネーの(ラジニーシ)OSHOアシュラムへ行ってきた。

ラジニーシ(1931−1990)については毀誉褒貶イロイロ言われてきたが、その最も有名なのが『セックス・グル』ということ。「フリーセックスこそ悟りを得るための最短」と公言してはばからなかったのだから、『セックス・グル』と呼ばれるのもむべなるかな。

このあたりのことは、かつて側近として仕えたヒュー・ミルンなるイギリス人の告発本に詳しい。

私はインド・グル関係の本はほとんど読まないのだが、この本は夢中になって読んだ記憶がある。

ラジニーシ・堕ちた神(グル)
多国籍新宗教のバビロン
ヒュー・ミルン著

第三諸館
(1991年12月1日初版)


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この告発本を読んだ上で、それでも私はラジニーシが好きでした。

本を読む気もなかったからラジニーシの教えがどんなものなのかも知らず、私はただ書店に並んでいる分厚い本のカバー写真を見てビジュアル的に興味をもっていたのだ。いかにも「インド・グル」らしいなぁ、、、とインチキ臭い顏を見てはニヤニヤしていたし、数々のスキャンダルもまた「人間らしくってオモシロいじゃないか」というラジニーシ・ファンなのです。

サイババに対してもそうだが、聖人賢者と呼ばれるグルの言葉は、「ときには信じ、ときには無視」しながら、さらに聖地巡りはする、要は屈折したカミサマファンなのです。

ただ、グルのスキャンダルを聞くたびに思うのは、ローカルだったグルが、何かの拍子でインターナショナルになるとき、グルといえども制御できないエネルギーに弄ばれることになるだろうということだ。

というワケで、

今回は、バグワン・ラジニーシがOSHO(和尚)として生を終えたグルのネタです。

OSHOのアシュラムはムンバイから南東へ約200キロ、プネー(プーナ)という地にある。私のプネー訪問は最初から計画していたことでもなく、ゴアで遊んでいたとき、パナジ(ゴア)→プネーの直通バスがあることを知り「それならムンバイに行く前に立ち寄ってみようか」と、例によって行き当たりバッタリの風まかせ。

パナジ(ゴア)を朝10時に出て、プネー着は夜10時くらいだったと思う。その夜はバス停近くのホテルに泊まり翌日アシュラムに下見に行ったワケだ。アシュラムはプネーという町にあるということしか知らず、どんな所なのかの予備知識もなかったのだ。

翌朝アシュラムに向ったのだが、プネーの中心からリキシャで20分くらいだったかな。インドの見慣れた喧噪を離れた、観光客にも一般のインド人にも縁のない閑静な一角にOSHOのアシュラムがあることにまずビックリ。というのも、聖地とかアシュラムは何ヶ所か知っていたから「OSHOのアシュラムもあんなもんだろう」つまり、土産物屋が軒を連ね、ホテルの客引きやリキシャマンが手ぐすねひいていて、ときには声を潜めて誘うバイニンも、、、。勝手にそんなイメージを抱いていたのだが、これらはすべてハズレだったのだ。

アシュラムの近くの安ホテルに宿をとって、、、などと計算していたのだが、アシュラム周辺に観光客相手の施設はナニもないし、したがって客引きもいない。このあたりにもOSHOの特殊な立ち位置が理解できる。


広大な敷地をもつアシュラム・メーンゲート

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初っぱなから肩すかしを喰らわされたわけだが、まずはレジストレーションオフィスに出頭しスタッフにシステムの概要を確認。パスポートチェックや写真撮影などの登録手続き。写真はパスに貼ることになる。

特筆すべきは登録に際してはエイズ検査が義務づけられているのだ。アシュラム内の感染症蔓延には特に敏感になっているようで、集団瞑想中に咳やクシャミが出そうになったら直ちに退室し、収まっても瞑想ルームに戻らないでくださいと注意されるほど。したがってエイズなら尚更注意だ。エイズ検査は指先に針を刺して採血する方法で、検査結果は20分ほどで判明、陰性であればパスが発行される。

もちろん私は陰性だったから、翌日から併設するゲストハウス宿泊の予約を済ませてその日は再び市中のホテルへと戻る。

翌朝バックパックを背負い事務所に出頭して、その日が滞在初日のビジター20人ほどでオリエンテーションを受けるのだが、これらはすべて英語。私にはほとんど理解不能だから、日本人サンニャーシ に通訳をお願いしてどうにかこうにか納得。なんと!ここにもロシア人多しだ。

オリエンテーションのあとはパスを受け取りアシュラム生活が始まるのだが、さすが、ゲストハウスは部屋代が高い分設備は万全。

OSHO GUESTHOUSE

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それまでに利用したホテルはだいたい1000円程度をメドにしていたのだが、このゲストハウスは6000円(食事別)程度だから、バックパッカーを名乗るにはちょっと恥ずかしい。それでも、たまには快適な環境の元で過ごすのも悪くないとナットクさせたワケだ。

あとで知ったのだが、セミナー参加目的などの長期滞在者は経費節約のため、このゲストハウスでなくアシュラム近辺の民宿などと週単位月単位で契約しているそうだ。

宿泊費には含まれない食事のことを書いておくと、アシュラム内にはメーンのキャンティーンの他にコーヒーハウスが2ヶ所あって、おおかたの滞在者はそこで食事を摂ることになる。現金のヤリトリは無く、あらかじめオフィスでバウチャーを購入しておき、入場料やレストランの支払い、売店での買い物などアシュラム内はすべてこのバウチャーで済ませる。

これは500ルピーのバウチャー2枚。

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利用した金額相当分をペンで消すアナログ方式だ。

食事は完全菜食のビュッフェ形式で何種類も並んでいる料理から食べる分をとり、最後にバウチャーで清算する。それぞれの料理に値段も表示してあるから自分の予算に応じて皿に盛ればよい。ただし、皿への盛りつけにはルールがあって極端な大盛りはやめてくださいということのようだ。この料理がじつに美味しく、そして菜食だから便通もすこぶる良好。

キッチンはガラス張りのオープンなっていて衛生管理面でも信頼して大丈夫。それまでインド各地で見てきた使用済みコップをバケツに汲みおいた水でチョチョッとゆすいで次のお客につかうなどということはない。こういうキッチンで作られた食事を瞑想の合間に摂るワケだから、身もココロも清浄になっていきそうだ。

そして瞑想プログラムだが、朝の瞑想はピラミッド型の屋根をもつOSHO Auditoriumというメーンのホールで6時から始まる。

瞑想はこの朝の瞑想から夜6時40分スタートのEVENING MEETINGまで1時間ほどのサイクルで行われ、もちろん参加不参加は各自の自由。部屋で休養しても良いし、プールで泳いだりテニスに興ずるのも瞑想の一種だ。そうそう忘れていた。アシュラム内では男女とも赤紫色のローブ、また夜のEVENING MEETINGは白色のローブ着用が義務づけられているので、この2色のローブを事前に売店で買っておく必要がある。水着も赤紫色と決められている。

白いローブ着用のこのEVENING MEETINGはユニークで、ステージには生バンドが入り、バンドの奏でる音に身体を委ねているうち自然に動きは大きくなっていく。グループ あるいはペアになって決められた共通のステップを踏むということでもなく、あくまでも個人単位だ。

このEVENING MEETINGをOSHOは最重要と位置づけていたそうで、時間も2時間くらい要したと思う。リズムに合わせて身体を動かすのも瞑想。ノドが張り裂けんばかりに絶叫するのも瞑想。大木が朽ちるように身体を床に投げ出すのも瞑想。もちろん大地に抱かれるように横たわるのも瞑想。参加者は自分のやり方で己の内面に没入していくのだ。

最後は生前のOSHOの講話ビデオが流されるのだがすべて英語だから細かい内容まで私には理解できない。だからOSHOの顏を見ているだけ。OSHOの眼は独特の光を放っていてマバタキもしない。大きく見開いた黒目勝ちの眼をじーッと見つめていると吸い寄せられていく感覚に陥る。プロジェクターでこれだから、もし生身のOSHOと対面していたら「このグルのためなら俗世間のすべてを投げ出して、、、」ということになっても不思議でない。

信者を急激に増やしていったカリスマ性というのはこの眼だなッと読んだ。

ここでオリエンテーションでのことを思い出した。生前のOSHOはジョークが好きだったという。このEVENING MEETINGで放映されるビデオの中でもそのジョークシーンが出てくるから、面白かったら笑いましょう。意味が理解できなくても構わないから笑いましょうという説明があったのだ。例え演技であっても大きな声を出し身体をよじらせて笑うのも瞑想というワケだ。

各瞑想にはリーダー役が黒いローブを着て立ち会うのだが、特に瞑想指導するふうでもなく、彼らから何かを強制されることもない。それぞれのスタイルで瞑想を楽しめば良いのだ。ただし、明らかに批判的態度を崩さない参加者にはやんわりと退室を促しているようだ。

このような瞑想プログラムと平行するように、セラピスト養成のセミナーも開催されていて、世界各国からプロを目指す人々が参加している。一定期間のセミ ナーを受け修了するとOSHO団体認定のセラピストを名乗ることができるのだろう。とうぜん、職業としてのセラピストを目指すことより、セミナーで学んだ結果を自己分析に役立てようという参加者もいるようだ。

OSHOの講話ビデオは「Yes OSHO」という女性の声で終わりEVENING MEETINGも終わるのだが、もしかすると、英語の講話のあとの「Yes OSHO」には、日本語しか解らない私に想像もつかない何らかの仕掛けがあるのかな?

冷静な観察者の立場に徹していた私はフト思ったりするワケだ。

夜9時、ピラミッド型のOSHO Auditoriumは月明かりの中に浮かび上がり、瞑想を終えた白いローブの男女が掘り割りの水面に映える図というのは、この絵柄だけを切り取れば充分にカルト集団そのものだぜ。

いわば公的ともいえる瞑想プログラムが終了したあとは、広場にバンドが入り、お酒も飲めてのリラックスタイム。夜のリゾート地そのものの雰囲気になってしまうのだ。

3泊4日のわずかな体験での判断になるのだが、瞑想プログラムはOSHO側、宿泊食事管理はリゾート地開発会社という、2つの団体のノウハウを合体させビジネス化したのがこのOSHO INTERNATIONAL MEDITATION RESORTではないだろうか。

「瞑想を学びたいと思って来ました」

登録時、アシュラム訪問の理由づけを一応こんなふうに話したら、

「ここは学ぶ場所ではありません。体験する場所です」

ニコヤカな笑顔でこういう答えが返ってきた。

確かに!

たまにはこういう体験をする時間を持つことは必要ではないだろうか。

イロンなリゾート地で遊んだから、

次の休暇は瞑想なんかで過ごすのもイイかも、、、。

こんな動機で訪れるのもオモシロイかもしれません。

ただし子供のための設備はな〜んにもありません。

あくまでもガキ抜き、大人だけのリゾート地だということをお忘れなく。

    (つづく)

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2012年4月 3日 (火)

ユズリナンダからの手紙

そのシリバラジの存在を教えてくれた、私が敬愛してやまないユズリナンダからコメントがあったので紹介いたしましょう。

私のシリバラジ訪問記を読んでくれたのだ。

    to えあじん

Edu Kondalavada Venkataramana Govinda Goovinda
エドゥ コンダラウ゛ァダ ウ゛ェンカタラマナ ゴウ゛ィンダ ゴーウ゛ィンダ!

ブログ興味深く拝見しました。ディーパック・ツアーズでは万全の態勢でバラジ神のダルシャンに授かったようです(つまりあまり並ぶことなく)。

バラジとサイババとのご縁はとても深いようで、聞きかじりの話ですが、ティルパティの僧侶がバラジ神にパダナナマスカールをしたところ、生身の足だったことにびっくりして顔をみるとバラジ神がなんとサイババの御姿になっていたそうです。

僧侶がこぞってプッタパルティに行くと、案の定インタビューに呼ばれ「私にかけている飾り物は重すぎる」というコメントがあったとのことです。

あまり大したオチではないですが、

サイババとパダナナマスカールといえば・・・・

そういえば、

「プッタパルティ最後の朝食」でもバラジ神がしっかりサイババと並んで写ってますね!さすがです。

バラジに関する記事はほんとに少ないですね^^


http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/8264/T1.html


Youtubeには1950年のアビシェーカム(勧請式)の動画が残っています。
http://www.youtube.com/watch?v=77hdQABiOGo&feature=related

Srinivasa Govinda Sri Ventatesa Govinda!

  サイラム

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『シリバラジ』で検索してもカレー屋のシリバラジだけ。神様のシリバラジに関する記事はヒットしないから、日本人であの場所へ行った人は少ないんだろうと思っていたのだが、日本人の訪問記はちゃんと残っていました。このブログ氏はチェンナイから旅行会社のツアーで行ったようだ。

シリバラジ参拝はそれが一番だろう。

それに、YouTubeには貴重な動画もあって、ユズリナンダには改めて感謝感謝感謝です。

この際だから私もシリバラジ関係の画像を何枚か追加アップいたしましょう。

サイババのアシュラムがあるプッタパルティから
シリバラジの門前町ティルパティへはこんなバスで行く。

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ティルパティの飯屋で。

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もうハラいっぱいだというのにこのオンナは

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「もっと喰えもっと喰え」だもの。

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惚れられてしまったゼ!

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ティルパティの町から山頂のお寺まではこんなバスで行く。

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よくこんなバスであんな急な坂を登れるもんだと感心する。

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山頂の土産物屋街。

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時間がたつごとに人口密度が濃くなる。

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山頂のHOTEL。
小学校の体育館のような広さのHOTEL(レストラン)が何軒もある。

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全店とも完全菜食だ。

ユズリナンダのメールでは、サイババとシリバラジは関係が深いと書いてあったので、本日最後の1枚はこれ。

プッタパルティにて。

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聾唖の母親とその幼い娘。
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♪プッタパルティの神様
私は来ました
桜咲く国から・・・
サイラム唱えて
御姿浮かべて
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Sikiri2hana
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2012年4月 2日 (月)

南インドの聖地巡り

『身捨つるほどの祖国はありや』

と思えるほど、政治のこのテイタラクだ。

だから、こういう番組を見てエヘラエヘラ笑ってるのがいちばんだ。

新婚さんいらっしゃ〜い

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長渕剛マニアのダンナさんと奥さん。
25歳差だそうだ。

というコトで、、、、。

南インドを歩いているとこういう人たちによく出会う。

マドゥライにて。

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こういう男たちが三菱パジェロのような車に旗をたてて聖地巡りをしているのだ。

男だけではない。

女たちも負けてはいません。

こちらはバスを仕立てての聖地巡りだ。

ラメシュワラムにて。

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たぶんどこかの地域とか宗派の一派なのだろうが、どういう組織に帰属しているのかはまだ解らない。男は黒服、女は赤服の団体が南の聖地ではよく見かける。とにかく目立ち、彼らのそのパワーには圧倒されてしまう。

インドの経済発展によって一般の人も観光に出歩けるようになった証拠だ。この人たち個人の消費するお金は大したことないにしても、これだけの団体が毎日移動していればその経済効果もバカにはならないだろう。

今回は南インドのお寺関係の画像特集だ(『地球の歩き方』参考)。

サン・トメ聖堂(チェンナイ=マドラス)

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何十キロも続くマリーナ・ビーチにある教会。
このカトリック教会は、
キリストの12使徒のひとりだった
聖トーマスが布教に訪れ
この場所で死んだといわれている。
青い空に映える白いカテドラルが美しい。

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神智協会=Theosophical Society=(チェンナイ)

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1875年にニューヨークで生まれた宗教改革運動の団体の本部。
宗教、性、宗教差別(カースト)などのない社会を目指している。

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カーバーレーシュワラ寺院(チェンナイ)

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寺の名前は忘れた(カンチープラム)

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寺の名前は忘れた(カンチープラム)

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海岸寺院(マハバリプラム)

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ロック・フォート(ティルチラパリ)

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岩山の上にお寺がある。

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ランガナータ寺院(ティリチラパリ)

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ミーナークシー寺院(マドゥライ)

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沐浴する人たち(ラメシュワラム)

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ムカシはここからセイロン(スリランカ)までフェリーが出ていた。

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チベッタンテンプル

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マイソール近郊にはチベット人居留区がある。
インド政府に遠慮してか?
FREE TIBETの旗はなかった。
だから私が
ひとりフリーチベット!だ。
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Tibet

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インド最南端のオーム(カニヤクマーリ)

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ベンガル湾、アラビア海、インド洋の水がひとつに交わる、インド最南端・カニヤクマーリの地はホテル、レストラン、土産物屋でビッシリと埋め尽くされている。そして、人、ひと、ヒトの波だ。私は40年前ここで遊んでいたことがあるのだが、その当時はバス停から波打ち際までな〜んにもない空き地だったんだよ。その空き地に不要品を並べて今でいうところのフリーマーケットをやってぜ〜んぶ売り切ったことがある。もっとも当時のインド人の購買能力だから僅かなお金にしかならなかったけれども。

これらの聖地観光地を訪れる
黒服男、赤服女の団体の行動を見ると
一般庶民でもこうして遊べることになったんだと
つくづく感じるのだ。
もっともこの黒服男、赤服女の団体は
南部タミールナ-ドゥ州を離れると
極端に少なくなるのだ。
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Sikiri2hana
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2012年4月 1日 (日)

桜の季節のコラボ本だ

たぶん10年以上ムカシになるだろう。内藤国雄九段(八段だったか?)が、テレビのバラエティー番組でお笑いタレントから「コンピュータとやったら勝てますか?」と訊かれ、「あんなゲームを作っているのは三段か四段の連中ですよ。そんなモンに負けるワケないじゃないですか」とムッとしたような顏をして答えていたのを思い出す。内藤国雄さんは将棋を指すかたわら『♪おゆき』というヒット曲で歌番組にも露出していた時代があったのだ。

何百手も先を読むというプロ棋士の脳力にコンピュータではとても太刀打ちできないだろうと言われていて、内藤さんにも「そんな器械ごときに、、、」という自負があったのだろう。

しかし、内藤さんの時代から幾星霜、コンピュータの研究開発は急激に進み、それに伴いプロ棋士を脅かすほどの力をつけたコンピュータ将棋まで出現するに至り、無視できなくなった将棋連盟はプロ棋士に対して「コンピュータとは公式の場で指してはならない」という通達を出すワケだ。

  プロ棋士とコンピュータではどちらが強いのか?

これは将棋ファンのみならず一般的にも興味のわくテーマだ。

女流棋士、プロ棋士それぞれの第一人者が対戦して1勝1敗。そしてついに現役を引退したとはいえ、棋界最高の人気者で永世棋聖にして日本将棋連盟会長の米長邦雄が登場しコンピュータ将棋No.1のボンクラーズと対戦するという運びになるワケだ。

この本は、

『勝ってあたりまえ、負ければ石つぶて』

という損な役割を敢えて引き受けた米長邦雄のドキュメンタリーだ。

われ敗れたり
コンピュータ棋戦のすべてを語る
永世棋聖米長邦雄日本将棋連盟会長
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中央公論新社

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ニコニコ生放送で
100万人が見守った
第1回将棋電王戦
「米長永世棋聖vs.ボンクラーズ」。
その激闘の裏側には何があったのか。

結局、人間がコンピュータに敗れるという結果になるのだが、敗者米長邦雄が、対コンピュータ戦にどのようにして望んだか、プロ棋士対コンピュータとの将来などを率直に語っていて興味が尽きない。とくに対戦相手のコンピュータに対して戦友のような眼差し情を向ける米長さんの姿勢に惚れてしまう。

勝負に賭ける男たちの姿には将棋の知識がなくとも感動を覚えるだろう。

米長Vsコンピュータ将棋開催のことはずいぶん話題になったから知っていたが、対戦のときはインドにいたために、結果については本屋でこの本を手に取って初めて知ったことになる。

一芸に秀でた人の姿は本当に美しいものだとつくづく思う。

そのインドで撮った写真を整理し始めている。

プリントアウトしてブックを作ろうというワケだ。

ただいま乾燥中。

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用紙だとかインクだとか消耗品の減りも激しく、なにか不足なモノが出るたびに西新宿へ走ることになる。出費もバカにならない。

西新宿に出て、ニコン、アサヒペンタックス、エプソンなどの写真ギャラリーをのぞいたり、オームの落書きを発見したり、アフガニスタン青年と出会ったりするワケだ。そしてついでにブBook1st.に立ち寄っては米長邦雄さんの本を買ったりしたのだが、本日はこんな本を買ってきた。


枡野浩一 短歌
杉田協士 写真

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雷鳥社

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さよならをあなたの声で聞きたくて
          あなたと出会う必要がある

ロングロングショートソングロング

出版不況と呼ばれるなか、シリアスな写真集の出版は少なくなって、こんなふうに、コラボレーションというのか異ジャンルの表現者の共同作業が多くなっている。

この本は枡野浩一(歌人=短歌)と杉田協士(映画監督=写真)のセッションだ。

京王プラザホテル前のドドールで
コーヒー飲みながら一挙に読み切ってしまった。
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